妖怪大戦争ガーディアンズ、武蔵野ミュージアムの妖怪伏魔殿など、荒俣氏の妖艶度は衰え知らず。
さてさて、竹谷氏の今回の妖怪図録を肴に、何やら妖しい対談の始まりである。

竹谷(以下竹)「ご無沙汰してました、荒俣さん」
荒俣(以下荒)「こちらこそ、竹谷さんの工房、2度目だけど凄いね、これ本当の伏魔殿ですね(笑)」
竹谷「とっ散らかってるだけですよ(笑)」
荒「所沢の角川武蔵野ミュージアムで竹谷隆之の工房展てやりたいですよ、これこのまま移築して」
竹「いやぁ(苦笑)」
荒「ところでこれですね、今日の肴は…だいだらぼっち系って昔からこれだなぁ(手洗い鬼を見ながら)」
竹「そうですね、こういう妖怪のポーズやアングルって昔から効果的に考えられてるんですよね」
荒「これはデジタルで描いたんですか」
竹「ええ、便利なんですよね、雷が落ちて今まで三時間くらい書き続けてたデータが消えちゃったりとかあるんですけど、やり直しが効くっていうか、なん十手も前まで戻せますからね。そういえば荒俣さんの妖怪伏魔殿で、雷は妖怪だってありましたね」
荒「もともと怪事がおきることを<妖怪>と呼んだ。人間の科学とかが発達する前の直感的認識っていうか、雷とか何か怖いものを見たときは、何でも妖怪にした」
竹「怖いものってしたほうが都合がいいと」
荒「理性じゃなくて、感覚による合理化だね。怖いものって、
便利な認識方だったわけですよ。伝えやすい。だって動物にも理解できるからね。でも難しい点もある。怖いものは合理化すると、すぐ怖くなくなっちゃうんだ」
竹「慣れちゃうってことですかね、認識すると」
荒「慣れちゃうと妖怪の概念が変わってきて、恐ろしいっていうより、となり近所感覚になっちゃう」
竹「親しみやすくなるんですね」
<b>荒</b>「そう。極端な話、妖怪や神様が人間界に取り込まれたのは大宝律令あたりから。律令が決まって、神様や妖怪の序列ができる。神様は国会議員で、妖怪は地方議員とかね」
竹「ほうほう」
荒「そうなってくると妖怪にも住所が決まり、戸籍も登録される。つまり、妖怪にも住民票ができて、下手すると税金も取られる」
竹「この辺にいるとか、分かりやすくする」
荒「そうです、そうすると妖怪大戦争なんかもそうだけど、場合によっては召集令状なんかも来ちゃったり(笑)」
竹「(笑)」
荒「そもそもね、幽霊の百物語とかパターン的な超自然的存在は、竹谷さんが描いた妖怪もそうですけど、当初は目に見えない存在だったわけですからね」
竹「そうですね」
荒「気配だけのものだった。それをむりやり具体物に当てはめる作業があって、その次が戸籍を与えてしまう」
竹「ですね」
荒「宇宙人も最近は戸籍を持ってるらしいから(笑)」
竹「(笑)どんどん具体的になってくるんですね」
荒「ただ、そうなってくると妖怪本来の怖さはどこへ行ってしまうか。ここが問題になりますね。で、残るのは、ファンタジーの世界です。祭りや演劇や物語、あるいは絵の中で怖さを発揮する第二の妖怪が発生します」
竹「役割も出来てくるんじゃないですか、こいつは怖い奴だとか、キャラクターが」
荒<「そこだね、おもしろいのは。妖怪ってやつは目に見えない存在だから、何にでも化けられる。で、怖いとか悪いとかいった感情を再創造する。つまり、化かして、騙すんですよ。妖怪と人間との関係はこれに尽きる。神様と人間だとお祈りしたり、モノをもらったり、ご利益的なんですけど、妖怪ってのは何にもしてくれない。ただ、化かされ、騙されること自体が役割となる」
竹「そうですね」
荒「そうなると後はもう親しいか、何かおもしろいことしてくれるのかっていう段階になるんだと思いますね、その辺は竹谷さんみたいな造形の方に繋がっていくんじゃないかと思いますけどね」
竹<「僕は妖怪ってとっても自由だなって思うんですよ、表現する上で。リアルな所に出てくるリアルなモノだと、こういう風にデザインしなくちゃいけないとかあるけれど、妖怪って馬鹿げてるモノが存在できるって面白さがあると思うんですよ」
荒「妖怪はファッションとかないしね(笑)」
竹「(笑)そうですね、確かに」
荒「ふんどし一丁とかの方が妖怪らしいし」
竹「江戸時代の絵に未だに影響されてますもんね」
荒「ゲゲゲの鬼太郎で確かに妖怪のイメージは変わった…竹谷さんの妖怪をこうやって見ると、怖そうなんだけど、いわゆるゴジラとは違う怖さなんだよね、これは」
竹「違いますね、おどけたっていいますか」
荒「ゴジラはマジで怖いけど、妖怪は騙しですからね。頭殴れば逃げていきます(笑)。最初にやった妖怪大戦争はまさにそれがテーマで」
竹「(笑)そうですね、楽しかったですよ」
荒「妖怪は弱い、スケベ、いいかげん」
竹「人間的ですよね、おっさん的な(笑)」
荒「ゲゲゲの鬼太郎だって、あの格好だもんね」
竹「僕、小学校一年生の時、母親にあのちゃんちゃんこ縫ってもらって、学校に着て行ったら流行ったんですよ(笑)」
荒「あはは、へぇ〜」
竹「七人くらいに(笑)でもピンクとか茶色なんですよ。黒と黄色じゃなくて」
荒「鬼太郎のあの格好だけはファッションなんだよなぁ、日常着でああなるっていうのは。あ、でも、それは最近の鬼滅の刃でも共通してるか、あの変なちゃんちゃんこ」
竹「ああ、そうですね、市松模様の」
荒「なんだか知らないけど、みんな着てるという」
竹「キャラクター戦略ですね」
荒「そう、キャラクター戦略。油すましなら油しましのキャラクターをつけないとわからないからね」
竹「それを伝えるためですよね」
荒「でもね、コロナ前後から妖怪もさらに変化したと感じますね。人間の社会でも、百年前まではキャラクターがモノを言った。警官だとか、政治家だとか、身分や職業がキャラクターだったので、そこが尊卑の区切りだった。ところが今は、そんな地位とか仕事とかじゃなくて、本人の性格だとか顔かたちだとかファッション感覚が大事になった。こういう個人的な資質を<パースナリティー>というんだ。累計じゃなくて個性。早い話が、河童の三平であり、ゲゲゲの鬼太郎、もっと突き詰めると、ネズミ男でなきゃダメだ。角のふんどしでは、もはや鬼の価値がなくなった。最近ですよ、パーソナリティが言われてるのは。もともと妖怪はパーソナリティがなかった。その代わりキャラクターがしっかりしていた。こいつはどういうやつだ、いい奴とか怖い奴だとか、ちゃんと分からせた。でも、今の妖怪は、いいものもいれば、悪いのもいる。個性で勝負なんだ」
竹「ですね」
荒「だから、ここ何年かくらいから、鬼滅の刃なんかが出て来たんじゃないですか?鬼にも家庭の事情や個人の心情といったパーソナリティが出てきて、人間に近い性格が生まれた。そのきっかけに<感情>があるんですよ。だいたい、お化けが人間みたい個性化した最初は、恨みですよ。中国でも日本でも、恨みは愛情とセットになった場合に化け物をとんでもなく人間化させる。いや、むしろ、人間の方を妖怪に変える。もと人間だった妖怪。これが化け物の第三形態だ。化かされて、騙された人間が、今度は自分が化ける。シン・ゴジラだって、最後は人間化するんでしょう?、竹谷さん」
竹「おお、そう言えばそうですね」
荒「怨念とかはパーソナリティの極地なんだよね、四谷怪談とか。でも、江戸時代頃から幽霊は怖いけど妖怪は怖くないって認識がだんだん出来てくるんですよ」
竹「幽霊と妖怪とカテゴリーが分かれてくるんですね」
荒「そう、カテゴリーがね、幽霊とかは恨みとかそういうのが根底にあるんだけど、竹谷さんが描いたこういう自然現象に近い真の意味の妖怪だから、恨みとかはないんですよ、個人的な因縁をつけられたわけじゃないから、愛せる」
竹「現象みたいなものですよね」
荒「だから、竹谷さんが描いた妖怪は、痴情関係だとか三面記事みたいな恨みの愛憎事件的な人間性をも一つ越えてもらいたい。自然や田舎生活をして煩悩を解脱する妖怪っていう感じに行くと面白いよね、ふとしたきっかけで」
竹「そうなるといいです」
荒「だから、このだいだらぼっちのふんどし姿も、何か参考になるよ。ぼくは最近、だいだらぼっちに鬼の原型をみつけて、面白がっているんです」
竹「よく鬼だと虎柄のパンツ履いてますけど」
荒「そう、でも虎のパンツ履いてないんだよね、自然と共に生きる原始生活者、狩猟民の姿ね」
竹「あ、そうですね、昔は何も履いてなかったですね(笑)でも、この格好で裸だと、ちょっと問題ありますから」
荒「そうね、でも妖怪の造形には尻目とかもいるし(笑)。あと、この絵ではねぇ、デベソである点が気に入ったなぁ、なんか古いんだよ、いろいろ妄想させる」
竹「あ、今回のデジタル絵本は子どもたちに観察すると楽しいってことに気づいてもらう、いろいろ妄想するのも面白いよってのが狙いなんで。可視化的妄想ですね(笑)」
荒「そうでしょ。それだと、このだいだらぼっちは、昔の人も農業化する前の先人たちをイメージしてたわけですよ。実際、かれらは『常陸国風土記』にも出てくる古い妖怪で、たぶん縄文人か旧石器人をイメージしていた。その証拠が、『風土記』では大人(おおひと)と呼び、平地を踏みならし、各地に池を造り、山に腰かけて海岸の貝を食べて生きたと書いてある。食べた貝の殻が今も山に捨ててある、と書かれている。これって<貝塚>ですよ。まさに海と山の自然生活者のイメージ化です」
竹「そうか、妖怪の生活には考古学的な知見も必要ですね」
荒「はい、それこそ竹谷さんの造形力に期待する部分ですよ」

2021年10月竹谷氏の工房にて収録

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